2009年7月14日火曜日

私の衝撃的なイスラエルの旅行 part 2

私のイスラエルの旅行


                   
イスラエルに行くなら、詳しくはここ
http://www.mitsubatravel.com/



イスラエルでまず

死海で浮かぶ!






世界の一番低い場所は死海です。



なんで死海と呼ばれるか?






死海の水の塩分がとても多いので、海の中に生き物がいない。
ヘブライ語で死海は塩の海と言います。
死海は普通の海ではないので、
泳いではいけません。ゆっくり海に入り水に頭
を浸けないで、目に水がかからないようにしましょう。
海の下に腕を伸ばすと、塩の石を出す事できる。
海の中で椅子の上にも座ってもいい。


まるでベッドに寝るです。


私たちは昼寝の後また海に行った。だんだん暗くなったが、人々はまだ海の中に泳いで話した。
私たちも椅子に座り、足を水にいれながら楽しい話した。
世界の一番低い所のでとても静かな穏やか雰囲気でした。
周りは砂漠だけです。ホテルは砂漠の岩のすぐ横にあえい、東側を見るとヨルダン国
のエドムとムアブの山が見られる。


水から上がって、妻と一緒に砂浜で体に死海の泥を塗る。
泥は近くの店で安くで売っている。
付けると20秒で固まります。死海の泥は体にとてもいい。
平日でしたが観光客と地元の人も多かった。
それでも、まだ静かで、人が多すぎるとは感じなかった。


上記の写真は、今回2008年にイスラエルを訪れた際は死海に行く事ができませんでしたので、
前回の2006年に撮ったものを載せました。





テルアビブ市の後、水曜日エルサレム市に行きました。
テルアビブからエルサレムまでの道は国道1号です。その道がアヤロン谷を越えて、山道になります。
アヤロン小川がヤーコン川につ繋がって、テルアビブの南から東に曲がってエルサレムの山まで流れます。途中でロド国際空港を越えます。


途中でラテルン(latrun)で止まった。
今日はラテルンはイスラエルの戦車の美術館で、イスラエル製戦車とイスラエルの戦争に参加の他国製戦車を見たり触ったり上に乗ったりもできる!



妻は初めてイスラエルの最新のメーカバ4と楽しい出あいをした!



ラテルンの近くにキリスト教の修道院がある。


イスラエルの1948年の独立戦争にラテルンの警察基地を3回攻撃したが、占有できなくって、多くの兵隊が死んでしまたので、1967年の6日間戦争後にイスラエル軍のための記念所を設備した。
軍隊の戦車分軍の卒業会がラテルンでお祝いされます。

やっとエルサレムの嘆きの壁に戻った




エルサレム旧市の城壁です。上にダビド王の城です 西側ヤフォモンの近くです。
ヤフォ門が旧市の西門、ヤフォ門からエルサレムの有名なヤフォ道が出る。


シオン門、城壁の東南側です。

入口でアラブ人がお土産を売っていましたが、同時に出口に信心深いユダヤ人が大型車から音楽を大音響で鳴らして踊っていた。



エルサレムの入口。



エルサレム旧市のユダヤ人区域の古跡です。



シオン門から旧市に入ると、嘆きの壁の西側に出ました。
左にエルーアクサのイスラム教のモスク。あのモスクはオマルモスクの南である。
二つのモスクはエルサレムの第一と第二神殿が立ったまさにその場所に建てられた。
後方右側に、オリブ山がある。
神殿が崩れてから、エルサレムに入立禁止されたユダヤ人がオリブ山で集まった。
現在オリブ山でとても多くの昔の墓があります。そこには1000-1600年前の墓もある。


嘆きの壁です!ユダヤ人は西の壁と言います。第二神殿の西の壁なんです。
後ろにオマルモスクの金色ドームです。



西の壁には女性と男性のエリアがあります。
ここは女性のコーナーです。夢中になってお祈りする女の人も居た。


男性のコーナーです。
見てるだけの人もいるが、大体の人がお祈りに集中します。
ある人々が体を全体に壁に抱きついて、神様にお願いする。
他の人々は、石のすき間にお願いのノートを入り差す。



僕が西の壁でお祈り中です。
その前に壁の右側から壁の洞窟で皆とお昼のお祈りをしました。

椅子に座る人が携帯電話を持っていて、電話を壁に付けた。相手が携帯電話でお祈りして
神様にお願いしました。
後ろの少年がユダヤ教の成人式(バルーミツバ)の練習した。



西の壁と別れた後エルサレムのファラエルを食べた。

ファラフェルだんご(falafel)、野菜サラダ、ポテトチプス、鶏肉、テヒナとフムスのソース(techina and humus)超美味かった!


昔に神殿で働いていたレビ(levi)の真似をする人。
この人とは後でヤフォ門でまた会いました。

レビってなに?
イスラエル民はイスラエルの12民族です。レビ民族からモゼとアアロンが出って来た。

シナイ山で神様に頂いた規律の石看板は、モエド天幕に保存された。
モゼが神様に備える物(動物犠牲)の技をアアロンに教えた。アアロンの家族は、その時代から第二神殿時代までの間、天幕とエルサレムの神殿に供えるものを扱う仕事だけに奉仕した。
第一と第二神殿の大コヘン(大司祭)は皆アアロンの息子でした。
現在のユダヤ人の中でも、レビやコヘンという氏名が多いです。

ヤフォ門でダビド王城を見たあとに、門の外でホットコーヒーを飲みながら、
僕、妻(Mitsuko)と母(Ronit)は、日没を待った。
日没後のエルサレム市内も綺麗だった。


2009年7月11日土曜日

私のイスラエルの衝撃的な経験

私のイスラエルの旅行
妻と一緒に2008年11月にイスラエルに行ってきました。

イスラエルにはこんなに近い距離でそんなに様々な景色があります。例えば、南の黄色い砂漠から北の緑色の山林と冷たい小川はたった3時間です。後、とても面白い歴史である、そんなに多くの様々な古跡は不思議です。イスラエルは聖書の国です。全ての聖書の話がイスラエルに起こった。聖書に出ていた人が住んで生きてた所を自分の目に見る事は...最高です!

もちろん、まず家族と会いました!皆を長い時間抱き締め、大きい食事を食べながら面白い話をし、皆に私の日本での経験を色々話しました。
まずは、一日ゆっくり休んでから旅行を始めた。

日曜日:
ハデラ市の家隣の車屋さんから車を借りて朝早くから出かけた。
まず、隣のケサリャ旧市(cesaria):
その町はペルシヤ帝国時代に小さいギリシャ風の港でしたが、
ユダ王国の第二時代の、ヘロド王(king hordus)に再建されて、立派な港と商店街、馬場と演芸舞台を建てられた。




外はとても暑かったけど、その昔の石の古跡の中にいたら涼しい気持ちになってきた。




















ケサリャ旧市の演芸舞台。ユダ王国の時代最初のヘレン風ユダヤ人の町でした。


あの舞台で演劇とグラディエーター(ファイター)の試合が大勢の観客を楽しみさせた。


















馬場です。左側がお客の座る場所、中央が競技場、     










                             右に海の見える道。    







ヘレン風の家の一番人気だったのは床のモザイク模様。その時代にユダヤ人はヘレン風やギリシャーローマ文化の影響を強く抵抗したが、こいうモザイクの床は2-3世紀から8世紀までのユダヤ人の教会にもあった。











































古跡の中に面白い猫見てた。


ケサリャ旧市から、4番国道に戻って、ハイファ市とアッコ市に向かった。






途中でカルメル山の南側を見ました。




山の下で、ジクロン・ヤコブ市(zichron yaakov)の近くでお昼ご飯を食べた。























ハンバーガーの

大きさに驚いた。





























ハイファ市に着いて、すぐにカルメル山から景色見たかったので、ステラ・マリスのキリスト教会まで登った。
そこからとても美しい景色が見えた:
地中海の青さ、カルメル山の下のブドウとバナナの畑、ハイファの港とすべてのハイファの土地見ることがでた。
































ステラ・マリスの下に、イスラエルの船軍の美術館がある。
右の写真はハイファの港、中心のバス駅、サッカー広場。
遠くにアッコ市が見られる。





























右の写真、ステラ・マリスの下にエリヤウ予言者の墓がある。エリヤウ(eliyau)様は古代イスラエル国王に住んでいた。彼は正義と慈善を目指して、神様だけに信じる事のためにに戦った。だから彼はユダヤ人はもちろん、イスラムとキリスト教にも尊敬されますが、エリヤウの洞窟は特にユダヤ人にとって聖域である。ユダヤ教による、古代の偉人の御墓にお祈りする事はとても運がよくなる事なので、エリヤウの洞窟にお祈りする子供の出来にくい女性が妊娠しやすくなるという信仰がある。

実の話、その日に洞窟に妻が妊娠出来るようにお願いしましたところ翌月の12月に妊娠しました!
































ハイファからアッコに行った。車を昔の港で止った。
少し疲れたなので、その近くの港だけ見て、商店街や古跡を見なかった。
穏やかな気分で、地中海の涼しい風と太陽の暑さの中で、ピたパンのスナックを食べた。




































月曜日:


今回、北東イスラエルに行った。


ハデラ市から、65号国道を乗った。

屋根の上である白い缶は何だろう?
あれは水の缶です。一日中に太陽が水を温めるので、その温かい水でお風呂やシャワに利用します。
あれ無料とエコなエネージです。


























ハデラ市の出口、電気棒でもお飾りがある。










ハデラ市からメギド(megido)まで65号国道です。
アーラ谷と呼ばれて(wadi ara)アラブ系の町が多い。山の下に立派な家が多い。














メギドからタボル山(tavor)までイスラエルの有名なイズラエル谷です。とても拾い広場で畑だけので、道は真っすぐ見たいから「定規の道」と呼ばれる。


















タボル山を越えて、アフラ市の後でゴラニ交差点である。
ゴラニはゴラニ軍部の意味です。















イスラエル人に愛される兵隊たちの中に、ゴラニ軍部は特に人気です。


北地方である軍隊の基地に軍役する兵隊は家から基地までの道にいつもこの交差点で休憩します。






ゴラニ交差点の周りは東のガリレイ地方です:畑と山林です。










若い兵隊たちがゴラニ交差点のマックドナードで食べる。今家から基地まで帰る途中です。
兵隊たちが家に帰る時にも銃を持ている。





















ゴラニからガリレイ海が近くなった、あの岩の後ろです。






















ゴラニ交差点でいっぱい食べたけど、
チベリヤまでの道でとれもきれいな景色が見られる場所
見つけたので、コヒ屋で止めた。
















いよいよツファト市(zfat)に着いた。
ヨーダン川から上まで上がったので結構時間かかった


でも、山の上でも、立派な町です。
旧市の中に大体皆は信心深い人です。













あの町は16世紀にユダヤ教のカバラ秘密を発明した所です。

















町の狭い道に迷っても、地元の人に道を教えてくれた。




































旧市の地元は信心深いだけど、その町の景色と静かは他のイスラエル人を引くので、地元の部屋を借りる芸人が多いです。
旧市で芸人のガレリが多い。









あの階段が山の下まで連続する。

山の下にツファトの有名な偉人の墓がある。












その道に、あんお景色で、昔のラービ達がカバラを教えた。




















火曜日:


今回、テルアビブ市に行った。
途中で面白いガス駅見てた。
















テルアビブの北側であるヘルゼリャ市はとても立派な町ので、microsoftのイスラエル支社はここです。















テルアビブの入口。
















テルアビブに入るとアズリエリビルである、三つの高いビルです。
最高階から展望台があった。
この写真は北に向け増す。左側の高いビルはラマトガン市です。(ramat gan)


この写真は南に向ける、中の道はアヤロン国道です。道のよこにアヤロン小川が流れます。







この写真は西に向けます。
上に地中海です。
右にイスラエル軍の有名なキリヤ基地です。







テルアビブにまた目曜日に帰りました。
その前にエルサレムに行った。
その話は次のpostします