イスラエルに行くなら、詳しくはここ
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イスラエルでまず
死海で浮かぶ!
なんで死海と呼ばれるか?
死海の水の塩分がとても多いので、海の中に生き物がいない。
ヘブライ語で死海は塩の海と言います。
死海は普通の海ではないので、
泳いではいけません。ゆっくり海に入り、水に頭
を浸けないで、目に水がかからないようにしましょう。
海の下に腕を伸ばすと、塩の石を出す事できる。
海の中で椅子の上にも座ってもいい。
私たちは昼寝の後また海に行った。だんだん暗くなったが、人々はまだ海の中に泳いで話した。
私たちも椅子に座り、足を水にいれながら楽しい話した。
世界の一番低い所のでとても静かな穏やか雰囲気でした。
周りは砂漠だけです。ホテルは砂漠の岩のすぐ横にあえい、東側を見るとヨルダン国
水から上がって、妻と一緒に砂浜で体に死海の泥を塗る。
泥は近くの店で安くで売っている。
付けると20秒で固まります。死海の泥は体にとてもいい。
平日でしたが観光客と地元の人も多かった。
それでも、まだ静かで、人が多すぎるとは感じなかった。
上記の写真は、今回2008年にイスラエルを訪れた際は死海に行く事ができませんでしたので、
前回の2006年に撮ったものを載せました。
アヤロン小川がヤーコン川につ繋がって、テルアビブの南から東に曲がってエルサレムの山まで流れます。途中でロド国際空港を越えます。
途中でラテルン(latrun)で止まった。
今日はラテルンはイスラエルの戦車の美術館で、イスラエル製戦車とイスラエルの戦争に参加の他国製戦車を見たり触ったり上に乗ったりもできる!
今日はラテルンはイスラエルの戦車の美術館で、イスラエル製戦車とイスラエルの戦争に参加の他国製戦車を見たり触ったり上に乗ったりもできる!
妻は初めてイスラエルの最新のメーカバ4と楽しい出あいをした!
イスラエルの1948年の独立戦争にラテルンの警察基地を3回攻撃したが、占有できなくって、多くの兵隊が死んでしまたので、1967年の6日間戦争後にイスラエル軍のための記念所を設備した。
軍隊の戦車分軍の卒業会がラテルンでお祝いされます。
やっとエルサレムの嘆きの壁に戻った!
エルサレム旧市の城壁です。上にダビド王の城です 西側ヤフォモンの近くです。
ヤフォ門が旧市の西門、ヤフォ門からエルサレムの有名なヤフォ道が出る。
入口でアラブ人がお土産を売っていましたが、同時に出口に信心深いユダヤ人が大型車から音楽を大音響で鳴らして踊っていた。
左にエルーアクサのイスラム教のモスク。あのモスクはオマルモスクの南である。
二つのモスクはエルサレムの第一と第二神殿が立ったまさにその場所に建てられた。
後方右側に、オリブ山がある。
神殿が崩れてから、エルサレムに入立禁止されたユダヤ人がオリブ山で集まった。
現在オリブ山でとても多くの昔の墓があります。そこには1000-1600年前の墓もある。
後ろにオマルモスクの金色ドームです。
ここは女性のコーナーです。夢中になってお祈りする女の人も居た。
見てるだけの人もいるが、大体の人がお祈りに集中します。
ある人々が体を全体に壁に抱きついて、神様にお願いする。
他の人々は、石のすき間にお願いのノートを入り差す。
その前に壁の右側から壁の洞窟で皆とお昼のお祈りをしました。
椅子に座る人が携帯電話を持っていて、電話を壁に付けた。相手が携帯電話でお祈りして
神様にお願いしました。
後ろの少年がユダヤ教の成人式(バルーミツバ)の練習した。
後ろの少年がユダヤ教の成人式(バルーミツバ)の練習した。
昔に神殿で働いていたレビ(levi)の真似をする人。
この人とは後でヤフォ門でまた会いました。
レビってなに?
イスラエル民はイスラエルの12民族です。レビ民族からモゼとアアロンが出って来た。
シナイ山で神様に頂いた規律の石看板は、モエド天幕に保存された。
モゼが神様に備える物(動物犠牲)の技をアアロンに教えた。アアロンの家族は、その時代から第二神殿時代までの間、天幕とエルサレムの神殿に供えるものを扱う仕事だけに奉仕した。
第一と第二神殿の大コヘン(大司祭)は皆アアロンの息子でした。
現在のユダヤ人の中でも、レビやコヘンという氏名が多いです。
僕、妻(Mitsuko)と母(Ronit)は、日没を待った。
日没後のエルサレム市内も綺麗だった。